2020.04.01

安全管理

Essential for us ~安全対策~

名古屋大学医学部附属病院 救急科 後藤縁

皆さんはウェルネス(wellness)と聞いて、どんな内容を思い浮かべるでしょう。
「『安全対策』ってウェルネスと関係あるの?」と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。しかし、施設レベルでの安全対策・管理はウェルネスを考える上で欠かせないものです。

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ウェルネスは、今から半世紀ほど前にアメリカのHalvert L. Dunnによって提唱されました。それまでの「病気=Illness」の対照にあるのが健康=「ヘルス」という概念に対して、ウェルネスは総合的な健康を示します。定義は様々ですが、
◎身体的、精神的、社会的に健康で安心な状態のこと
◎身体的、感情的、知的精神的な領域のバランスをとる過程や、それに成功して活力が満ちている状態
◎健康に繋がる活動、選択、ライフスタイルの積極的な追及(Global wellness Instituteより)
などと表されます。
身体のみ・精神のみではなく、総合的な状態であるということや、バランスをとる『過程』や『追及』とあるように、生活を見直し、気付き、改善をしていこう、という概念であることが特徴です。

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職場が安全でなければ、健康的に、安心して働くことはできないこと、すなわち総合的に健康で安心な状態を達成できないことが分かります。
医療現場はいうまでもなく高いストレスのかかる職場ですが、「ストレス」は精神的な要因だけでなく、下の表に示すような様々なリスクのことも指します。

表:医療従事者の健康と安全を脅かすリスク(文献1より)

1.心理・社会的要因(ストレス、暴言・暴力、ハラスメント)
2.生物学的要因(針刺し事故、感染対策)
3.化学的要因(薬剤、抗がん剤)
4.物理的要因(放射線、怪我)
5.人間工学的要因(夜勤、シフト勤務、腰痛)

繰り返しですが、「安全でない」=ストレスに満ちた職場では、身体的・精神的・社会的にも健康に、活力に満ちて働くのは難しいです。医療従事者は健康や安全を脅かすリスクに晒されやすいといえますが、一方、安全対策を行うことで、そのリスクを軽減することができます。ある医療施設ではウェルネスを達成するため、「仕事のストレス」を「仕事のやりにくさ」と定義し、「やりにくさ」を減らして、安全・安心・良質な医療を提供することに取り組んだ、という例が紹介されていました。

医療現場での安全文化というと、「患者安全」が思い浮かびやすいかもしれません。実際に、医療機関におけるリスク対策の多くは、患者安全の視点で行われています。
しかし、安定した医療を提供するためには、医療従事者の安全衛生に関するリスク対策も必要です。そして、ウェルネス自体が「過程」を重視し、「気付き、改善をしていこう」という概念であり、これらのリスクを特定し、それを低減するための対策・措置を行う必要があります。

アクションチェックリスト
リスクを意識したり、その改善方法に気付いたりする方法の一つとして、アクションチェックリストがあります。
 以下は公開されているアクションチェックリストの一例で、医療現場に限ったものではありませんが参考になる項目もたくさん含まれています。

職場環境等の改善のためのヒント集(メンタルヘルスアクションチェックリスト)
(平成15年度厚生労働科学研究 「職場環境などの改善方法とその支援方策に関する研究」 アクションチェックリスト作成ワーキンググループ 編)
<http://mental.m.u-tokyo.ac.jp/jstress/ACL/index.htm>

チェックリストの特徴は、良し悪しや合否をチェックするのではなく、ある改善策を「提案するか?/提案しないか?」、また提案する場合「優先事項か?」という選択形式になっている点です。さらに、事後的(例えば、事故や疾病の発生をきっかけに行われる調査)ではなく、予見的な(起こりうる事故や疾病・不調等を事前に想定し、評価の上、優先順位をつけて行われる)改善の取り組みであることも特徴です。

例えば、アクションチェックリストの中の、

繁忙期やピーク時などの特定時期に個人やチームに作業が集中せず、作業の負荷や配分を公平に扱えるように、人員の見直しや業務量の調整を行う
→ このような対策を □提案しない  □提案する ―― □優先か

という項目は、「『救急外来が混み合う時間帯に合わせてシフトの人数を増やす』という提案をするか?」という形で、私たちの現場にも当てはまります。

作業者が安心して作業できるように、作業ミスや事故を防ぎ、もし起こしても重大な結果に至らないように対策を講じる
→ このような対策を □提案しない  □提案する ―― □優先か

という項目は、
・ダブルチェックを徹底する
・針刺し防止機能のついた針を使用する
・誤ったオーダーに対する電子カルテのアラート機能を取り入れる
などの改善策のヒントになるかもしれません。改善の目の付け所に気付く助けになり、それぞれの施設に合わせて優先的に取り組む対策を選ぶことができます。

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さて、「医療従事者の健康と安全を脅かすリスク」の表に示した要因ごとに、チェックや対策の候補になりそうな項目を挙げてみます(前述したように、施設によって必要な対策や優先度は異なり、あくまで一例です)。

<全般>
整理整頓や清掃
・スタッフの控え室や当直室の4S(整理・整頓・清掃・清潔)が適切に管理されている
・床の清掃や管理が行き届いている
配置
・電気配線、コンセントなどが安全に管理されている
例)分かりやすい配線になっているか? 破損しにくいケーブルが用いられているか?
・通路には通行に十分なスペースがあり、危険な段差がない
 ・扉の前に障害物が置かれていない
例)物品やカートの定位置を、通路が妨げられない場所に定めて、マークをつける
物品・備品
・机や椅子などの備品に破損やぐらつきがない
・ロッカーや棚の転倒防止措置がとられている
・高所に危険物(はさみ、刃物、重量物)が置かれていない
・重量物、ガスボンベ等が倒れたり落下したりしないよう、管理されている
環境
・室内が暑すぎたり寒すぎたりせず快適である
・室内の照明や換気が適切である

<1.心理・社会的要因(ストレス、暴言・暴力、ハラスメント)>
・メンタルヘルス不調時の相談・受診体制があり、適切に利用されている
・メンタルヘルス不調者への対応(休職、復職など)が適切にされている
・暴言・暴力が発生した際の対応マニュアル(体制)が整備されて、訓練されている
・ハラスメント発生時に報告できる体制がある
・ハラスメント発生時の相談体制があり、適切に利用されている

●暴言・暴力について
なかでも、私たち救急医は暴言・暴力に晒されるリスクが高く、ACEPのウェルネスについてのガイドライン2)でも、「暴力」が一つの項目として取り上げられています。
容易に想像できることだと思いますが、ER(救急外来)は院内で一番、暴力が起こりやすい場所だと報告されています3)。ただでさえ調子が悪く不安を抱えた患者がやって来るのが救急です。アルコールや薬物中毒、事故や喧嘩で本人の意に反して病院へ連れて来られた人など、興奮した患者がいるかもしれません。どれくらい続くか分からない待ち時間や、混雑した状況は、苛立ちに拍車をかけます。(一方、ここでは詳細を割愛しますが、身体的な疾患や治療可能な合併症が、暴力の原因になっていることも少なくないため注意が必要です。)
暴言・暴力に曝露するリスクや、精神的・身体的に傷害を受けるリスクが高い場所や状況を認識し、安全を確保するための予防や対応が必要です。
安全対策という点では、
◎暴言・暴力に関わる緊急事態を想定し、マニュアルを策定する
◎医療者とセキュリティーを交えて、マニュアルに基づいた定期的な対応訓練をする
ことが重要です。
暴力が生じる徴候は、簡単に分かることもあれば、ごく軽微なこともありますが、何の前触れもなく身体的な暴力が生じることは稀です。大きな声を出したり、言葉によって脅したりする等の予兆が見られる場合が多いので、それらのサインに敏感になり、人を集める基準として定めても良いでしょう。以前に暴力や脅迫するような行為があったというエピソードは慎重に取り扱うべきで、医療者の身を守るために、以下のような取り決め・対応が必要です。
・複数名のスタッフや警備員(セキュリティー)を集めてから診療する
・危険を感じたら逃げられる通路を確保しておき、必要であれば安全な場所に避難する
・目立たない場所に「panic buttons」(緊急時にセキュリティーや警察へ通報できるボタン)を
設置する
 ・(日本で行うのは難しい面もありますが)人の出入りをコントロールする、
入り口で患者や訪問者の持ち物をチェックすることも考慮されます。
地域の警察と連携して訓練を実施することで、より実践的なシミュレーションを行うことができ、かつ万が一のときの協力体制ができるという意味でも意義があります。

<2.生物学的要因(針刺し事故、感染対策)>
 針刺し事故や感染症への曝露は、医療従事者における特徴的なリスク要因です。不適切なPPE(個人用防護具)の使用、針や汚れた衣服に対する不注意、定められた手順を飛ばす(守らない)ことで、そのリスクは高まるため、適切な対策が必要です2)。

標準予防策やPPE
医療従事者は、感染源に曝露する可能性がある全ての場合において、標準予防策(standard precautions)を行います。加えて、想定する感染源に応じた接触・飛沫・空気予防策が必要になります。
そのためには、必要な場面で、適切な物品が利用できなくてはなりません。
・手指消毒設備が必要な場所にある
・個人用保護具(PPE:ディスポ手袋、マスク、ガウン等)が必要な場所にある
・PPEの備蓄が把握され、適正に管理・補充されている
・個人用保護具の正しい使用について研修をし、使用を励行している

折しもこの原稿を執筆している2020年3月末には、COVID-19が全世界で猛威を振るっています。感染予防やPPEについては、今までにない程、強く意識されているのではないでしょうか。
例えば、SARS-CoV-2は接触・飛沫予防策が必要ですが、エアロゾルが発生するような場面では、N95マスクなど空気予防策も要します。このように感染源に対する正しい認識を持つこと、そしてそれに応じた適切な物品が必要です。サージカルマスクやN95マスク等の不足に直面し、医療者自身も感染のリスクを強く感じる状況では、
・最適な保護具が、必要な場所に設置されていることで、安全・健康が守られていること
・正しい保護具の着脱の重要性
などを痛感すると思います。
同時に、緊急時だけでなく、当たり前に物品がある平時から、適切な対策をしておく大切さも分かります。
また、本題から少しずれますが、COVID-19対応においては、前術の心理・社会的要因も大きく、
・自分が発症するのではないか
・感染を媒介してしまうのではないか
・濃厚接触者であるとして風評被害を受ける
というストレスにも晒されており、十分な対策が必要といえます。

事故の予防
 また事故を未然に防ぐための対策が必要です。以下は当たり前のことと思われるかもしれませんが、当たり前の対策が徹底されていない場合は、そこがリスクであり、同時に改善策を施す点といえます。
 
・鋭利な器具(例:注射針やメス)などの危険物が、適切に収納・管理されている
・リキャップをしない教育・対策がとられている
・針刺し防止器具が導入され、正しく使用されている
・使用済み注射針廃棄用の専用容器が必要な場所にある
 ・感染物の廃棄手順が徹底されている

事故が発生したときの対応
そして、感染源への曝露や針刺し事故が生じた場合、自施設のプロトコールが定められていること、プロトコールを遵守した報告・評価・治療を行うことが重要です。

<3.化学的要因(薬剤、抗がん剤)>
・医薬品が適切に管理されている
・消毒薬、毒物・劇物の保管場所、保管方法が定められ、守られている
・薬品の表示が正しくされている
・有害物質を扱う場所において、換気設備が正常に作動する

<4.物理的要因(放射線、怪我)>
・放射線管理区域が適切に表示、管理されている
・電離放射線の個人被ばく線量が管理されている
・放射線防護具など適切な保護具を着用している

<5.人間工学的要因(夜勤、シフト勤務、腰痛)>
 ・長時間労働対策が講じられている
・無理のないシフト勤務のルールが定められている
・勤怠管理が適切に行われている
・作業に適した机および椅子が配置されている
・カルテ端末の置かれている高さが適切で、無理な姿勢にならない
  例)肘の高さ(作業の際の望ましい位置)で作業できるようにする
個人に合った高さや位置に調整できる机や椅子を設置する

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リスクやストレスに対峙する場合、「医療者である」という理由から、周囲も本人も「自分で対処すべき」と考えてしまいがちです。もちろん個々の意識づけや、一人一人がルールを守ることも必要ですが、リスク要因の性質を考えると、組織的な対応が不可欠で、個人だけでは解決できないことが多いことに気付きます。また、個人の責任ではなく、組織が責任を担い、働く人を守っていると示すことで、そこで働く人の安心感やモチベーション、信頼関係が生まれます。「ストレス」=「仕事のやりにくさ」が軽減されることで、効率がアップし現場の活気が高まれば、医療の質が向上し患者さんにもたらされるメリット、さらには働く私たちの充実感にも繋がります。

一方で、管理者(病院でいえば理事長や院長など)は職員に対して「安全(健康)配慮義務」を持つと同時に、職員は管理者に対し、「自己保健義務」を持っています。医療従事者自身も、生活習慣やメンタルヘルスについて自主的に改善し、自分の健康を高めようという意識が求められています。

参考文献
1.医療機関における産業保健活動ハンドブック.公益財団法人 産業医学振興財団.2013.監修 相澤好治
2.Rita A. Manfredi, et al. Being Well in Emergency Medicine: ACEP’s Guide to Investing in Yourself
(https://www.acep.org/globalassets/sites/acep/blocks/section-blocks/rural/ww_bwem_wellnessguide_0384_1116-.pdf)
3.Jennifer Rossi, et al: The Violent or Agitatie Patient. Emerg Med Clin N Am. 2010; 28: 235-256