2020.01.17

EMA症例50: 6月症例解説

<解説編>
さて、症例はアルコール依存症のある43歳男性の「記憶がない」という主訴でした。具体的に尋ねると「来院前夜までは覚えているが来院当日の朝からの記憶がないしフラフラする」と言います。
多いときは月に15回もくるような、入院して気の向くままに自主退院し、その日のうちに救急搬送されてくるような困った常連さんです。
それでも「また来たのか・・・さっさと帰ってくれ・・・」という気持ちはぐっとこらえて、冷静に診察するのがプロフェッショナルです。
接遇の問題だけではなく、イライラしている時ほどミスが起こりやすく、またいつもの・・という油断に足をすくわれるものですね。

本症例を診察した研修医は、いつもと違う主訴に少しだけひっかかりましたが、それでもこの大混雑のERで、入院するためにまた適当な事を言ってるんじゃないかという気持ちを払いきれず、腹痛もないため血液検査後帰宅させるつもりでいました。
しかし、「さあ帰宅してください」と伝えると「フラフラする、物が二重に見える」と言い出しました。
カルテをめくってみましたが「物が二重に見える」という言動は今までありません。やはりいつもと違います。
これが本当なら複視、眼球運動障害があるのかもしれません。

そう、アルコール依存症の人の眼球運動障害といえば、Wernicke脳症ですね。

さて、みなさんの回答は以下のようになりました。
・この時点でのプランは?
shorei44-01

・追加したい問診は
食事の内容、先行する感染症状の有無
頭痛、ろれつ困難の有無
複視の日内変動や片眼でも複視があるか

・追加したい身体診察は
頭蓋内出血を念頭に置いた神経診察
眼位の確認、眼球運動
深部腱反射、直腸診、甲状腺腫大の有無

・追加したい検査は
ビタミン(特にVitB1)・微量元素
TSH/fT3/fT4、抗GQ1b抗体、IgG抗体
眼科スリット
頭部CT、MRI/MRA

みなさんの追加したい点を見ながら、どんな事を考えているのか想像するのは楽しいものですね。

・ここまでの少ない情報から考えうる鑑別は以下のようになりました。
shorei44-02

やはりWernicke-Korsakoff症候群を一番多く挙げていただきました。
その他鑑別として、小脳梗塞や、複視・眼球運動障害からMLF症候群やFisher症候群・脳幹脳炎、IC-PC動脈瘤、また「記憶がない」という主訴から一過性全健忘や、脳症の鑑別で甲状腺機能異常も挙がりました。

本症例は、先行する感染症はなく、頭痛やろれつ困難もありませんでした。
食事は来院前日に食パンを食べたと言っていました。
複視については片眼の診察でも複視があると言い、やや信頼にかけましたが
眼球運動検査をすると、確かに両側の外転障害がありました。
腱反射の消失はなく、歩行をトライしたところ見事にwide gaitでした。

<Wernicke-Korsakoff症候群>
VitB1不足による脳症として知られています。
急性相がWernicke脳症にあたり緊急で治療を要し、慢性相がKorsakoff症候群と呼ばれます。

古典的三徴として
・脳症(82%)
・眼球運動障害(29%)
・体幹失調(23%)
が知られていますが、古典的三徴が全て揃ったのは16%だったという報告もあります1

<病態生理>
Wernicke脳症はアルコール依存症の患者でしばしば経験しますが、それ以外の状況(吸収不良、栄養不良、必要量増加、妊婦、透析など)でも生じます。
また重篤な感染症、手術や外傷、糖分負荷などの代謝ストレスによって誘発されることがあるとされます4
特に障害されやすいのは乳頭体、第三脳室、視床背内側核、中脳水道、第四脳室、上小脳虫部です。障害は左右対称的で乳頭体はほぼ全例で障害されます。
その他、青斑、眼球運動神経核、前庭神経核などがよく障害されます。

急性のWernicke脳症ではうっ血やミクログリア細胞の増殖、微小な出血といった変化が起きています。慢性期では組織壊死を起こし、脱髄やグリオーシス(グリア細胞の増殖)が認められます3

<症状>
前述の通り、古典的三徴が揃うのはたったの16%で見逃されているケースも多いと考えられています。
症状の頻度としては、意識変容(mental change)が最も多く(82%)、眼球運動障害(29%)、失調歩行(23%)1が続きます。

・脳症:
見当識障害、無関心、不注意、記銘力障害が起こります。意識レベルの低下は稀です(5%以下)。

・眼球運動障害:
動眼神経核/外転神経核/前庭神経核の障害により眼振、外転麻痺、注視麻痺が生じます。
眼振が最もよく見られ、両側の水平性注視眼振が典型的です。
外転障害はほとんどの場合両側性です。
その他、対光反射が緩慢になったり対光近見反射解離/瞳孔不同などの瞳孔の異常がみられることもあります。

・失調性歩行:
運動失調は多発性神経障害、小脳、前庭障害の組み合わせにより生じています。歩行はwide-basedで小刻みでゆっくりになります。
小脳は主に虫部が障害されるため、運動失調は体幹が主で、四肢に及んだり構音障害はめったにありません。(アルコールによる小脳の変性の症状とは異なるところです。)3

<診断・鑑別>
血液検査や画像検査は診断に有用ですが、基本的にWernicke脳症は臨床診断です。
アルコール依存症でない(もしくは知られていない)患者や症状がそろっていない患者では診断が難しくなります。
急性発症のせん妄や運動失調を起こしうる疾患の除外が必要です。
またtop of vasillar症候群や蘇生後低酸素脳症、ヘルペス脳炎、腫瘍など、内側視床や海馬、下内側側頭葉に障害を起こす疾患も鑑別に挙がります。

●慢性アルコール中毒患者におけるWernicke脳症の診断クライテリアとしてCaine criteriaというのが提案されています。
<Caine criteria>
①摂取不足
②眼球運動障害
③小脳症状
④意識変容または軽度の記憶障害
以上2つ以上満たせばWernicke脳症と診断できるとするもので、
アルコール依存症患者106人の剖検の結果、古典的3徴と比較して感度22%から85%まで上がったそうです6

●血液検査:
Wernicke脳症の診断基準になるような検査はないのですが、血中VitB1濃度の測定は診断に役立つかもしれません。(当院では外注検査です。)
ただ、血中のVitB1濃度が脳の濃度を反映するかは確かではなく血中濃度が正常でもWernicke脳症は完全には否定できません。
そして採血結果は患者さんのマネジメントには必ずしも必要ありません。

●画像検査:
必ずしも診断には必要ありませんが、診断の補助にはなります。
MRIでは典型的には中脳水道、第3脳室、内側視床、延髄背側、蓋板四丘板、乳頭体の周囲がT2, FLAIRで高信号になります。
Wernicke脳症と無症状のアルコール依存症とコントロールを15例ずつ比較した報告では感度53%特異度93%でした。
T2の異常は治療開始後48時間で消失するとされます。
乳頭体の萎縮は慢性期のWernicke脳症に特異的な所見(古典的三徴のそろう症例の約80%に認める)で、Wernicke脳症発症後1週間で出現します。

本症例のMRI画像です。

<画像><DWI>
shorei44-03

<T2>
shorei44-04-2

<FLAIR>
shorei44-05-3

(青矢印:高信号領域   赤矢印:乳頭体の萎縮)
(注:側頭葉のHIAは乳突蜂巣内の空気です)

<治療>
Wernicke脳症は十分に治療可能であり、患者はVitB1の静脈投与開始から数時間で改善を示します。(急性期では経口吸収が不確実であるため、静脈内投与です)。
診断はしばしば困難となりますが、治療を行わない場合の死亡率は10-20%ともいわれ、速やかな治療の開始が必要です。
上記の通り、三徴が揃わないことの方が多いため原因不明の混迷や昏睡に陥った患者には必ずVitB1を投与しましょう。

ランダム化試験はなくエビデンスは不十分ですが、以下の高容量VitB1投与法が推奨されています。
①500mgを1日3回30分以上かけてIV投与 2日間
②続いて250mgを1日1回IVもしくはIM投与 5日間
VitB1の1日必要量は1-2mgですが、Wernicke脳症では利用率が落ちているので大量投与が必要です。
静脈投与後も再発のリスクがなくなるまで1日100mgの経口投与を続けたほうがいいでしょう2

一般に眼筋麻痺は治療開始から数時間以内に完全に解消しますが後遺症として運動失調や水平眼振が残ることがあります(60%)。
また見当識障害やせん妄は解消しても記憶障害が残ることがあります。

グルコースの投与は急性Wernicke脳症を誘発する恐れがあり、VitB1欠乏が少しでも疑われる低血糖患者には必ずグルコースとともにVitB1を投与しましょう。
またアルコール離脱で入院している患者には1日100-250mgのVitB1投与するなど、Wernicke脳症の予防も大切です。

本症例は、VitB1を点滴にて大量投与を開始したところ翌日には眼球運動障害の著明な改善を認めました。
神経内科に入院しましたが、数日後には帰宅希望が強くなり脱走未遂などをおこした末に退院となりました。
こういう患者さんはアルコール依存症の治療や社会的な介入が必要ですが、なかなか本人や家族にその意思がないと難しいものですね。

<Take Home Message>
・Wernicke脳症の三徴は意識障害・眼球運動障害・体幹失調だが3つ全て揃うのは稀!
・診断は臨床所見で!
疑ったら全例、高容量のVitB1静脈内投与を開始しよう!
・慢性アルコール中毒患者なら<Caine criteria>
摂取不足・眼球運動障害・小脳症状・意識変容または軽度の記憶障害
のうち2つ以上あればWernicke脳症。(感度85%,特異度は低い)
・問題患者を狼少年にしないのは、救急医の腕の見せどころ。
心は熱く、頭はクールに!

#1. Harper CG, Giles M, Finlay-Jones R. Clinical signs in the
Wernicke-Korsakoff complex: a retrospective analysis of 131 cases diagnosed
at necropsy. J Neurol Neurosurg Psychiatry. 1986 Apr;49(4):341-5.

#2. Cook CC , Hallwood PM, Thomso AD.B Vitamin deficiency and
neuropsychiatric syndromes in alcohol misuse. Alcohol Alcohol1998;33:317

#3. Wernicke encephalopathy:UpToDate

#4. Sarah T.et.al,訳:神田隆;エマージェンシー神経学—日常診療で遭遇する51のケーススタディ.
メディカル・サイエンス・インターナショナル

#5. Caine D, Halliday GM, Kril JJ, Harper CG. Operational criteria for the
classification of chronic alcoholics: identification of Wernicke's
encephalopathy. J Neurol Neurosurg Psychiatry. 1997 Jan;62(1):51-60.

#6. Carol Rees Parrish, R.D., M.S., Series Editor. Wernicke’s
Encephalopathy: Role of Thiamine. Practical Gastroenterology 2009