2020.07.17

EMA症例110:6月症例解説

6月症例の解説です。
皆さん、たくさんのご回答ありがとうございました。

今月の症例は、いかがだったでしょうか。 今月の症例は、1m下の川辺で卒倒し、救急隊接触時は意識障害と硫黄臭があるという20歳女性で、救急隊からの搬入依頼で始まりました。

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https://www.emalliance.org/education/case/syourei110

1m下の川辺で卒倒した若年女性の意識障害で、患者からは硫黄臭がするということから、皆様もお気づきのように硫化水素中毒が疑われます。今回の症例は『硫化水素中毒が疑われる患者の病院前~ERでの対応』がポイントでした。では、皆様からいただいた回答をもとに解説していきたいと思います。

まずは、受け入れ要請時の救急隊への対応からER事前準備まで、設問1,2を続けてみていきたいと思います。早速、皆様からの回答をお示しします。

《設問1》救急隊へ依頼すること、MCとしてアドバイスはありますか?

《設問2》鑑別診断を踏まえて必要なERでの事前準備はありますか?

 

救急隊からの「硫黄臭がある意識障害患者」の受け入れ要請時、まずは中毒を疑えるかが重要です。皆様に挙げていただいたように、中毒は疑わなければ始まりません。そして、中毒を疑えば二次被害を出さないよう救急隊へアドバイスをすることは非常に大切です。もちろん、救急隊も消防庁から出ている指針に則って救急対応をしているとは思いますが、病院での二次被害を防ぐ意味でもアドバイスや確認を行っておくことは必要です。


今回の症例では、災害のCSCAの『S:safety』に則って「Self:救急隊」、「Scene:現場」、「Survivor:患者」で考えると分かりやすいかも知れません。「Self:救急隊」としては、状況にもよりますが適切なPPEを装着し脱衣などの乾的除染を終え、車内換気を行いながら早期に現場離脱することが重要です。また、「Scene:現場」としては、救急隊ではなく救助隊が保有している有毒ガス測定器での現場のガス濃度測定が必要です。ガス濃度測定は傷病者の診断のためにも必要になりますし、ガス発生があれば警察と消防で現場の危険区域の策定が行われます。その際、風向きや高低差に注意することもポイントになります。そして、「Survivor:患者」としては、硫化水素中毒であれば好気性代謝が阻害されるため酸素投与が必要になりますし、若年女性の卒倒や意識障害であれば低血糖の除外やてんかん発作なども鑑別挙げておく必要があります。特に中毒としての卒倒では、シアン中毒や硫化水素中毒が鑑別に挙がります。


同じようにERの事前準備も「Self:医療従事者」、「Scene:病院(ER)」、「Survivor:患者」と考えれば、二次被害予防や除染、そして治療としての気管挿管・人工呼吸器準備、亜硝酸製剤準備などが挙がります。亜硝酸製剤としての亜硝酸ナトリウムは院内調剤であるため、事前の薬剤部との調整がされてなければ非常に時間がかかりますので、一度院内の中毒診療の体制を見直してみることをお勧めします。

では、続いて現場での硫化水素濃度が高値であり、硫化水素中毒と考えられる患者の受け入れ時のER前での除染についてです。

《設問3》救急外来搬入前に必ず行う除染はどれですか?

硫化水素は呼吸により速やかに体内へ吸収されるため、二次被害を生じやすく医療従事者への被害も報告されています。ただ、迅速かつ適切な除染により院内における医療従事者の二次被害を回避・軽減することができるため、除染は必ずきっちり実施しましょう。基本は「乾的除染」です。乾的除染は脱衣などで汚染された衣類などを除去し、必要あれば拭き取りを行う除染です。皮膚や粘膜への接触が疑われる際にはシャワーなどで洗い流すなどの「水除染」も追加しますが、硫化水素では揮発性が高く不要という意見もあり、今回は汚染部分もないため乾的除染のみ行いました。

最後に硫化水素中毒の治療についてです。

《設問4》救急外来搬入後の治療としてどれを優先して選択しますか。 

皆様の回答ではほとんどの方が気管挿管・人工呼吸器管理を選ばれ、その他の治療として薬剤投与(多くの方が亜硝酸製剤)や高気圧酸素療法を選ばれていました。硫化水素中毒の治療は酸素投与以外に明確なエビデンスが存在しませんが、全身管理による呼吸・循環動態維持と、特異的な治療薬として亜硝酸製剤投与が治療の中心となります。ヒドロキソコバラミン投与や高圧酸素療法(HBO)も効果があるとの報告もありますが、保険適用外のため各施設で検討する必要があります。

【実臨床経過】
<搬入時の身体所見>
血圧 102/42mmHg、心拍数 120bpm、呼吸数 36回/分、SpO2 99%(酸素6L/min)
体温 36.5℃、意識レベル GCS 7(E1VTM5)、瞳孔3/3mm、対光反射 両側迅速
脱衣後も頭頸部、胸腹部に特記すべき身体所見なし、皮膚色調変化や皮疹なし
<搬入時の血液ガス分析>
pH 7.37, PaCO2 30.4mmHg, PaO2 440mmHg, HCO3 17.2mmol/L, Lac 5.26 mmol/L, CO-Hb 0.4%, Met-Hb 0.3%
<搬入後の経過>
搬送後は3%亜硝酸ナトリウムを投与し、メトヘモグロビン(Met-Hb)濃度20%を目標にコントロールし、乳酸値1.19mmol/Lまで低下したため亜硝酸ナトリウム投与終了としました。その後も乳酸値上昇はなく、神経学的後遺症などなく第5病日に退院となりました。

【硫化水素中毒】
1.概要
下水処理場やゴミ処理場、石油精製工場、温泉施設など、産業現場での事故として中毒症例がしばしば報告されています。また、硫黄を含む入浴剤と洗剤を混ぜ合わせ、自殺目的に硫化水素中毒を起こす症例が多く発生し社会問題となりました。また、救助する側に二次被害が発生しやすいのもこの中毒の特徴です。

2.病態と診断1,2)
硫化水素は、低濃度曝露であれば粘膜刺激症状が主体となり、速やかに代謝され臓器障害は生じませんが、高濃度曝露であれば短時間のうちに細胞呼吸障害による全身症状を来す致死的な中毒となります。“ノックダウン”とも言われる突然の意識消失などの神経症状を来すことも多いです。これは、体内で硫化水素イオン(HS -)がミトコンドリア中のチトクロム・オキシダーゼ内のFe3+に結合することで、この酵素を利用して進む好気性代謝が阻害されるための症状です。特にエネルギー代謝が活発な脳や心臓において症状が出現し、中枢神経障害や虚血を含めた心筋障害が引き起こされます4,5)。また、酵素を利用しない嫌気性代謝が進み乳酸産生が増大し、乳酸アシドーシスを生じます。
硫化水素中毒の診断は、曝露を疑う病歴に加え、血清乳酸値の上昇、アニオンギャップ開大性代謝性アシドーシスなどから診断します。

3.治療
治療は全身管理としての呼吸・循環動態維持、特異的な治療薬として亜硝酸製剤投与です。全身管理としては、チトクロム・オキシダーゼを介さない好気性代謝を促すために100%酸素投与を行い、必要に応じて気管挿管・人工呼吸器管理を行います。ただし、気管挿管を行った医師が二次被害を起こした報告もあり、防毒マスクなどの着用も検討しておく必要があります6)。また、中枢神経障害を発症し、痙攣を起こした時はジアゼパムやミダゾラム、プロポフォールなどの抗けいれん薬投与を行います。
亜硝酸製剤である亜硝酸アミルや亜硝酸ナトリウムは、血中のHbを酸化しメトヘモグロビン(Met-Hb)を生成します。Met-Hbは硫化水素イオンとの親和性が高く、チトクロム・オキシダーゼ内のFe3+に結合した硫化水素イオンと結合し、硫化水素とチトクロム・オキシダーゼを解離させ、酵素活性を取り戻し好気性代謝が回復します。ただ、Met-Hb自体が末梢への酸素供給を阻害するため、Met-Hb濃度の管理も重要となり、Met-Hb濃度20%程度を目標に30%以上にならないように管理するとされています1,6,7)。亜硝酸ナトリウムは院内調剤であるため薬剤部との調整なども施設ごとに必要です。また、シアン中毒と同様の機序であるため、硫化水素中毒に対してのヒドロキソコバラミン投与や高圧酸素療法(HBO)は効果があるとの報告もありますが8,9,10)、現段階では明確な推奨はなくいずれも保険適用外であるため、各施設で検討する必要があります。ひとつの参考に東北大学病院の硫化水素中毒対応マニュアルがあります11)

 

<まとめ>

  • 中毒は疑わなければ始まらない。
  • 急性中毒診療では必ず二次被害を回避することを念頭において診療する。
  • 各病院での急性中毒診療に対する対策について確認しておく。

 


【参考文献】

1) 上條吉人: 臨床中毒学. 医学書院, 東京, 2009, p 386-93.
2) 公益財団法人日本中毒情報センター : 医師向け中毒情報概要 硫化水素. 
https://www.j-poison-ic.jp/system/pmasters/view2/%3Finfoid%3DO16200
(2020年6月20日参照)
3) 山本基佳. 硫化水素中毒:死亡確認後に周囲の硫化水素濃度が再上昇した1例. 相澤病院医学雑誌. 2019;17:53-56
4) 井ノ上幸典. 硫化水素中毒による致死的心筋障害の2例. 中毒研究.2011; 24:231-235.
5) Amino M. Improvement in a patient suffering from cardiac injury due to severe hydrogen sulfide poisoning: A long-term examination of the process of recovery of heart failure by performing nuclear medicine study. Intern Med. 2009;48:1745-1748. 
6) 宮本恭兵. 亜硝酸ナトリウム持続投与がメトヘモグロビン維持に有用だった重症硫化水素中毒の1例.日臨救急医会誌. 2017;20:69-73
7) 藤野靖久. 硫化水素曝露後に遅発性の意識障害を生じ亜硝酸ナトリウムの間欠投与にて治療した1例. 中毒研究. 2010;23:297-302.
8) A fatal case of acute hydrogen sulfide poisoning caused by hydrogen sulfide: hydroxocobalamin therapy for acute hydrogen sulfide poisoning. J Anal Toxicol. 2011;35:119-123.
9) Whitcraft DD 3rd, Bailey TD, Hart GB. Hydrogen sulfide poisoning treated with hyperbaric oxygen. J Emerg Med. 1985;3(1):23-25.
10) Sonobe T. H2S induced coma and cardiogenic shock in the rat: Effects of phenothiazinium chromophores. Clin Toxicol (Phila). 2015;53:525-539.
11) 高畑昌代. 硫化水素中毒対応マニュアルの作成. 日本集団災害医学会誌. 2010;15:76-81.